「戦争で学校も家も焼けてしまったけれど、青春は六本木で謳歌したのよ」と、Hさまはにこやかに語ります。戦後の厳しい時代を乗り越え、40代からは海外旅行も楽しまれました。
「『結婚だけが人生じゃない。自分の道を行け』という母の言葉が、今の私を支えているの」。そんなHさまの言葉には、凛とした強さが感じられます。
若い世代には、「若いうちに本をたくさん読み、先輩のアドバイスに耳を傾けて」とメッセージをくださいました。
宝塚歌劇団の大ファンで、楽屋に差し入れをしたこともあります。
「昭和といえば、やっぱり野球だね!」と満面の笑みで語るのは、Hさま。当時は軟式野球で、中学生の頃から野球に打ち込み、仕事の傍ら草野球でも活躍されました。
「ボール一つあれば、チームみんなで追いかけられる。それが野球の面白さだよ」。その情熱は今も健在で、好きな野球チームのユニフォームを着こなし、応援を楽しんでいます。そんなHさまが尊敬するのは、元読売ジャイアンツの土井正三さん。「野球に取り組む姿勢が素晴らしいんだ」と語ってくださいました。
石原裕次郎さんの歌が十八番で、20代の頃には、のど自慢の地方大会に出場したこともあります。
「18、9歳の頃は、空襲が本当に怖かった」と、戦争の時代を振り返るAさま。日本の敗戦も目の当たりにしました。
そんな時代を支えたのが、坂本九さんの『上を向いて歩こう』でした。「戦争の敗北から前向きに生きるための希望の歌だった」と語ります。若い世代には、「心配事や失敗はあると思うけれど、自分にくじけず、前向きに頑張ろう」とエールを送ってくださいました。
今はテレビ(刑事ものや文学系)を観たり…、手先作業も割りと苦にならずにできるタイプなので、細かい作品をつくるのも楽しいです。
「戦後は物がなくて、みんなが苦労した時代でした」と語るSさま。小学校の遠足で行った動物園には、家畜しかいなかったというエピソードも。
そんなSさまの忘れられない思い出が、1970年 に開催された大阪万博です。「アポロ11号が持ち帰り大きな話題となった月の石を見るために3時間も並んだのよ!」と、当時の熱気を生き生きと語ってくださいました。自分に責任を持って生きることと、他者への感謝を忘れないことが大切だと、若者にもメッセージをいただきました。
趣味は、卓球・手芸・麻雀。余暇時間に今もお友達や一人で楽しんでいます。
戦後の混乱期、お米を現金に換えて生活を支えた経験から、お米の大切さを語ってくれたAさま。また、「戦後、文字教育が盛んになって、文字を書くことの大切さを知りました」と、当時を振り返ります。
先日、百寿を迎えられたAさま。「ここまで生きてこられたのは皆さんのおかげ」と、常に周りへの感謝を忘れない謙虚な佇まいから、介護スタッフにも多くの学びを与えてくださっています。
ベッカムヘアがトレードマーク。身だしなみにも手を抜きません。
年齢を重ねた先には、身体やこころ、環境など、誰もが抱える変化があります。その変化の中でも、「自分らしく生活したい」という一人ひとりの想いを、私たちは大切にしています。
「愛の家」では、「~できる」を生み出す【体調を整えるケア】と「~したい」を生み出す【活力を高める ケア】の両面から、ご利用者の皆さまが活き活きと過ごせる毎日をサポートしています。
今回ご紹介した方々は、激動の昭和を生き、それぞれの人生を力強く歩んでこられました。年齢を重ね、たとえできなくなることが増えたとしても、その方の経験や感情、大切にしてきた想いが消えてしまうわけではありません。
野球が好きだったこと、おしゃれが好きだったこと、困難を乗り越えてきたこと。そうした一人ひとりの「人生の物語」に敬意を払い、その「かけら」を私たちが知ることで、今の生活の中に笑顔や安心が生まれると信じています。 私たちは、認知症や老いといった側面だけでなく、その「人」を見つめます。これからもお一人おひとりの人生に深く寄り添い、共に笑い、共に考えることで、自分らしく活き活きと過ごせる毎日を支えてまいります。