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【特別インタビュー】東日本大震災から15年。あの日を繋いだ、私たちの想い未来~パート①福島第1・山形エリア 菅野さん~

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2026.06.04

東日本大震災の発生から15年。当時、混乱の中にありながら、ご利用者の安全と生活を守ろうと必死になった社員たちがいます。
15年という節目の年を迎え、福島で被災したホーム長とユニットリーダー(当時)2名が、今振り返る「震災当時のリアル」と、未来へつなぐ「介護への想い」を語ります。

※被災された皆様ならびに、亡くなられた方々へ謹んでお悔やみ申し上げます。
本インタビュー内では、当時の様子がリアルに語られます。配慮した言葉遣いとはしておりますが、ご不安に思われる可能性がある方は、閲覧をお控えください。


■プロフィール

菅野 美穂(かんの みほ)
北海道・東北事業部 福島第1・山形エリアマネージャー

エリアマネージャー/2006年入社。
・ 病院の看護助手や老健での勤務を経て、「家から近いから」という理由で、愛の家グループホーム福島宮代のオープニングスタッフとして入社
・ 趣味はキャンプで、座右の銘は「やればできる!」(ティモンディさん)

※部署・役職は掲載時点です

■あの日、真っ先に浮かんだのは「事業所の崩壊」

2011年3月11日、私は愛の家グループホーム福島飯坂のホーム長(当時)を務めて2年ほど経った頃でした。当日は休みで自宅にいましたが、激しい揺れに「あ、これはもしかして事業所はもうないかもしれない、潰れたわ」と思い、すぐに事業所へ向かいました。
当時、古い木造の事業所を譲り受けて運営していたため、耐震性への不安が頭をよぎったのです。

電話も通じず、道路のブロック塀が倒れている中を突き進んで到着すると、建物の周りを囲む石塀は倒れていましたが、建物自体は無事でした。
しかし、停電で薄暗い中、あるご入居者の居室の扉が箪笥に塞がれ、開かなくなっていました。当時は、グループホームホームにおける家具の固定は「推奨」に留まっており、十分な固定がなされていなかったのです。※。
扉を外して救出し、全員の無事を確認したときは本当に安堵しました。

※震災後、家具の固定は義務化され、運営指導における重点的な確認項目へと変わっています

15年経って気付く、日頃の「雑談力」が命を救う

震災直後はライフラインが止まり、雪が降る中で暖をとるのも一苦労でした。
会社の救援部隊が来るまでの数日間は、事業所内で飲み水や生活水、食料も手配をしなければなりませんでした。
そんな時、当時のご入居者のご家族が石油ストーブを届けてくださったり、近所の方が井戸水を提供してくださったりしました。このように地域の皆さまのご協力のおかげで、何とか過ごすことができたのだと、今でも深く感謝しています。

こうした協力が得られたのは、日頃からスタッフたちが地域の皆さまと「野菜がとれたんです。おすそ分けしますね」といった些細な会話を大切にし、信頼関係を築いていたからだと、考えています。

介護現場で何気なく行っている「雑談力」こそが、いざという時の地域の協力体制を生むのだと痛感しました。

■今も伝え続ける「備えを他人事にしないこと」と、災害用伝言ダイヤルの活用

震災の記憶が薄れつつある今、私は「備えを他人事にしないこと」を伝え続けています。
防災備品の準備ももちろんですが、万が一の際、ご利用者を守るためのスタッフ同士の連絡体制も不可欠です。
災害が発生した場合に、連絡がつかないときは、「171」災害用伝言ダイヤルを利用することなども日々伝えるようにしています。

また、私自身の趣味であるキャンプの備品や技術も、実は災害時に必要不可欠なスキルとして役立ちます。当時はキャンプをしていませんでしたが、あの時このノウハウを知っていれば……と思うことも少なくありません。

■介護職は、人の命を預かる専門職

介護職は誰にでもできるというイメージを持たれがちですが、実際には看護師と同様に人の命を預かる仕事です。特に認知症介護はコミュニケーション次第でご利用者が変わっていく専門的な仕事であり、そのことに誇りを持ってほしいと考えています。
そして、地域の高齢者が困った時にいつでも駆け込めるような事業所をつくっていきたいです。



▶福島県の愛の家グループホームは こちら
▶「愛の家」サービスサイト こちら

以上、パート①でした。 次回パート②では、当時ユニットリーダーだった社員の話を紹介します。