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あらすじ
大阪・生野区で一人暮らしを続ける在日コリアンの母。
2009年に父が亡くなってから、母は独りで暮らしている。
ある夏の日、朝から台所に立った母は、高麗人参や鶏肉をふんだんに使った参鶏湯スープを作り始める。
監督である娘のヤン・ヨンヒは、カメラを回しながら母との対話を重ねていく。
やがて母の記憶が薄れ始め、済州島4・3事件という韓国現代史の悲劇が明らかになっていく。
特徴・見どころ
『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』で、自身の家族と北朝鮮の関係という極めて個人的、かつ政治的なテーマを描き続けてきたヤン・ヨンヒ監督。
その集大成とも言える「家族ドキュメンタリー三部作」の最終章が、本作『スープとイデオロギー』です。
本作は、これまでの作品以上に「母」という一人の女性に焦点を当て、老いとアルツハイマー型認知症、そして封印されてきた壮絶な過去を描いた、魂の記録です。
「思想(イデオロギー)」の鎧が脱げるとき
かつては北朝鮮を熱烈に支持し、娘のヨンヒ監督とも思想の違いで激しく対立した母。
しかし、本作でカメラが映し出すのは、アルツハイマー型認知症を患い、徐々に記憶を失い、小さくなっていく老いた母の姿です。
「思想」という頑丈な鎧が、病によって剥がれ落ちていく過程。
それは、娘にとって、今まで見ることのできなかった「素顔の母」と出会う時間でもありました。
記憶が薄れていく中で、母はこれまで誰にも語ろうとしなかった、自身の壮絶な過去を語り始めます。
それは、韓国現代史の最大の悲劇の一つとされる「済州島4.3事件」の体験でした。
認知症によって直近のことは忘れてしまっても、心の奥底に刻まれた恐怖と悲しみの記憶は、鮮明に蘇ります。
監督は、消えゆく母の記憶を記録しようと、カメラを回し続けます。
「スープ」がつなぐ、温かい家族の再生
重いテーマを扱いながらも、本作が決して暗いだけの作品ではないのは、そこに温かい「スープ」の存在があるからです。
母が得意とする、朝鮮人参と丸鶏を煮込んだ特製スープ。
そのスープは、思想や価値観の違いを超えて、家族の身体と心を温める愛情の象徴です。
そして、もう一つの重要な要素が、ヨンヒ監督の日本人パートナー(後の夫)の存在です。
彼が新しい家族として加わることで、母と娘の間にあった長年の緊張関係が、柔らかくほぐれていきます。
料理を通じた母娘のコミュニケーションや、食卓を囲む穏やかな時間は、介護における家族の絆がいかに大切であるかを、理屈抜きに教えてくれます。
母の作るスープには、以下のような想いが込められています。
- 過酷な時代を生き抜いてきた生命力
- 娘や新しい家族への、不器用だが深い愛情
- 言葉では伝えきれない、母としての祈り
過去を抱きしめ、今を生きる
認知症の進行は待ってくれません。
しかし、記憶が失われることは、必ずしも「喪失」だけを意味するものではありませんでした。
本作は、母が過去の呪縛から解き放たれ、穏やかな「今」を生きようとする姿を映し出します。
歴史の荒波に翻弄された一人の女性の人生と、最期まで娘として向き合い、支えようとする監督の姿。
「スープ」の温かさと「イデオロギー」の残酷さが交錯する中で、最後に残る家族愛の強さに、誰もが胸を熱くする傑作ドキュメンタリーです。









