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健達ねっと>マガジン>ツッチーの旅する介護士日記>タイの99歳のおばあちゃんの“本当の気持ち”

タイの99歳のおばあちゃんの“本当の気持ち”

ある日曜日の朝。僕はいつものように、あるクリスチャンの入居者さんを教会へ連れていく準備をしていました。

タイでは仏教徒が約9割を占めますが、僕がいるタイ北部は、昔からいろいろな民族がまじりあっている地域で、キリスト教徒の方も少なくありません。

車のキーを手にした僕の姿を見て、99歳の別の入居者さんがぽつりと言いました。

「次は、私も行きたい。」

そのおばあちゃんは、若いころは毎週のように教会へ通っていたそうです。

髪は真っ白で、背中は少し丸まっているけれど、目の奥にある芯の強さは、年齢を感じさせません。

「わかった。次は、連れていくね」

 

そう約束しましたが……いざ次の日曜の朝になると――

「やっぱり行かない」と部屋にこもってしまいました。

 

「行きたい」と「行かない」の間で揺れる心

このあいだ「次は私も行きたい」と言っていたのに。

理由を尋ねると、「お金がないから…」「ツチさんに迷惑だから…」と、遠慮の言葉が返ってきます。

僕は「お金はいりませんよ」「迷惑じゃないですよ」と笑って伝えました。

でも、彼女は頑として動かない。翌週も誘ってみたけれど、また行かない。

 

「私は一人が好きなの」と笑っていたけれど、その表情の奥に、どこか寂しさの影が見えました。

――本当はどうしたいんだろう。

 

家族やスタッフに聞くと、昨年までは自分の足で教会まで歩いていたそうです。

でも、今は車いす生活になり、それを受け入れられないのかもしれない。

「それでも、きっと本当は行きたいはず。」そう思った僕は、少し強引に誘ってみることにしました。

「今日は行きましょう!」

 

99歳の拳と、介護士の葛藤

ところが当日、おばあちゃんは大声で「絶対、行かない!」と抵抗。

車いすを玄関に押そうとした瞬間、僕の顔にまさかのアッパーカット。

99歳の拳は、なかなかの威力でした(笑)。

 

その日、僕は少し落ち込みました。

本人の言葉「行かない、行きたくない」を尊重して、もう誘うのをやめるか。それとも“本当の気持ち”を信じてもう一度声をかけるか。

どちらも間違いではないけれど、どちらも簡単ではない。

正直に言えば、本人が「行かない」と言っていることを鵜呑みにすれば、誘わないほうが楽ですしね。仕事が増えるので。

結局そのまま時間が過ぎ、どうしたもんかと悩みながら、次の日曜日を迎えました。

 

予想外の日曜日、そして教会へ

ところが、朝、ほかの入居者を迎えに行こうと玄関へ出ると――

なんと彼女は、身支度を整えてそこに立っていました。

「はい。行くわよ。」

その言葉に、僕は思わず笑ってしまいました。

「やっぱり、行きたいんじゃないですか(笑)」

 

車に乗り込み、教会へ。

外の景色を見つめるおばあちゃんの頬に、やさしい風が流れます。

道中、稲穂のゆれる田んぼを見て、「昔は私も田植えしてたのよ」と話してくれました。

年齢の話をすると、「99よ。あと1年で100!」といたずらっぽく笑う。

 

教会に着くと、周りの方たちが「お久しぶりー!」と拍手で迎えてくれました。

その瞬間、おばあちゃんの目が少し潤んだのを僕は見逃しませんでした。

讃美歌を口ずさみ、お祈りをして、穏やかな表情。手を合わせるその姿は、どこか少女のように見えました。

 

帰りの車の中では、まるで長年の友人のように歌を口ずさんでいました。

その笑顔を見て、私は胸がいっぱいになりました。

「誘ってよかったなぁ…。」それだけで、1週間の疲れが吹き飛びました。

 

「神様がね、まだ歩きなさいって言うのよ」

それから1か月。

おばあちゃんは、スタッフと一緒に少しずつ歩く練習を始めました。

朝の庭掃除や花の水やりを一緒にやるようになり、「あとちょっとね」と言いながら、日々のリハビリを楽しんでいました(家族から聞いたのですが、家では絶対掃除しない人だったらしいです。これもびっくり)。

そしてある日曜日。僕が玄関で待っていると、彼女が車いすを押しながらゆっくりと立ち上がり、一歩、また一歩と歩き出しました。

「今日は、歩いて行くわよ。」

うそでしょ!!と、ちょっと僕もびっくりして、ついこの間まで、行くとか、行かないとかで揉めていたのに、、、

おばあちゃんは振り返って、にっこり笑いました。

「神様がね、まだ歩きなさいって言うのよ。」

歩く練習を始める99歳のおばあちゃん

 

介護とは、いまを活ききるための仕事

その笑顔を見たとき、僕は思いました。

人は、何歳になっても“願い”を持っている。

できないことを支えるのも大切。でも、それ以上に、「やりたいことをもう一度できるように」その願いが、介護の本質なのかもしれない。

 

あの時、彼女の遠慮や拒否の言葉をそのまま受け止めて、何もしなかったら、この笑顔には出会えなかったかもしれない。

異国の地で介護をしていても、人の心の奥にある“本当の気持ち”は変わらない。

誰かに迷惑をかけたくない、でも本当は行きたい。

「できない」ではなく、「どうすればできるか」を一緒に考える。

その積み重ねが、介護なのかも。

 

介護は、命の終わりを支える仕事ではなく、その人がいまを活ききるための仕事。

あの日、99歳のおばあちゃんが見せてくれた一歩。

その小さな足跡が、僕にとっての希望になっています。

 

最近はチェンライは、乾季になり、午前中は過ごしやすい気候です。

そのおばあちゃん、毎日、掃除と花の水やり、歩く日課を続けています。

 

土橋 壮之 さん

TVCM業界からひょんなことをきっかけに介護の仕事に転身。日本、イギリス、そしてベトナムへ、世界の介護現場を回る旅に出る。