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生活支援者として支援することが基本にあり、その向こう側に介護がある

先日、久しぶりに高校生の前で話す機会をいただきました。

高校生だけでなく、複数の福祉系高等学校の先生方や介護事業所従事者も混ざって高校のステキなホールで開催された催しでした。

先生が生徒に事前に質問を考えさせ・書かせてくれていて、それがざっと50問くらいあったのですが、さすがにその場で回答し続けて終わってしまうことに「?」を感じ「あとでブログに書くから」と約束してきましたので、順次お答えしてきたいと思います。

 

高校生が福祉について学んでいくことをどう思うか

高校生が介護について学んでいくことをどう思うか

介護を将来の夢、なりたい職業として目指すことをどう思うか

この3問の質問をくださったのは3人ではなく1人の方で、この質問の並びが美しくて目につきました。

学校で「福祉や介護」についてどのように習っているかは横に置いてもらって、僕の中で思うことを書かせていただきますので読み解いていただければと思います。

 

福祉と介護

この方は「福祉について」「介護について」と並列していますので「福祉と介護に違いを描いている方」だと推測しますが、この「違い」について直接「本人に聞いてみたかったな」と思いました。

というのも、その場でいただいた質問に目を通すことなく終わったからで「事前にいただいとけばよかった」とも思いました。

 

僕が「介護とは」を考えるようになったのは、高齢者在宅サービスセンター(東京都が地域の拠点として老人福祉法老人デイサービス事業・老人保健法機能訓練事業を軸にショートステイや相談、家族介護者教室などを展開する複合施設)で仕事をするようになってからですから1990年初頭で、
そのきっかけは、仕事の中で「介護」「支援」「介助」「援助」といった同じような言葉が並んでいたからで、それに気づいてから、その違いを考えるようになりました。

また「福祉とは」を考えたのは1999年で、老人福祉法「痴呆対応型共同生活援助事業(痴呆性高齢者グループホーム):現老人福祉法認知症対応型共同生活援助・介護保険法認知症対応型共同生活介護(俗称:グループホーム)」の施設長を任せていただいたときです。

それまで、1987年から特別養護老人ホーム、老人デイサービス、老人保健施設などで10年くらい仕事をしていた時には「福祉とは」を考えたことがなく、
グループホームで実践するようになり、ものすごい数の見学者(行政関係者、介護事業従事者、学者・研究者など)にお会いしてお話をしているうちに「福祉ってなんやろ」と思い始めたんです。

僕は、この質問をくれた高校生のように学問を積んでいないので「福祉とは」を誰かから聞いたことがありませんでしたし、
それは「介護とは」も同じで且つ、本を読むこともしないのでひたすら自分の中で考え現段階での到達点を見いだせてはいますが、
実は今も考え続けていることでなんです。

 

出会った「福祉とは」

悶々と考えていたあるとき、ある書き物(雑誌だったと思います)を読んでいると、ある方が「福祉とは、人々が幸福に暮らす生活環境」と書かれていて、これを目にしたとき、この言葉がスッと入ってきて「なるほど」と思えました。

しかも、これを「福祉の専門職とは」へ展開すると「その環境を整えることに専門性を持った職業人」ということになりますから、僕は勝手に「俺やのことやん」とも思いました。

もちろん、幸福の価値観は人々によって違いがあり「他者から収奪し他者を殺戮すること」に幸福感を持つ人々がいるとしたら「人々が・・・」の「人々」によって「福祉の現れ:生活環境による人々の生きる姿」が違ってきますが、それも含めてスッと入ってきたということです。

その「福祉とは」の考えをもつことで「介護とは」は「福祉とは」に含まれる概念という風に思えましたし、それは「支援」「介助」「援助」「看護」であれ同じなんじゃないかと思ってしまいました。

 

子育て期は「介護」とは言わない

介護について考えたのは、大きくは「支援」との違いについてで、「介護」と「支援」は何が違うのかを考えて見えてきたことは、「支援」は生まれてから死ぬまで使うのに対して「介護」はある時期からしか使われない言葉だということでした。

つまり、子育て期に「介護」という概念はなく、障がいを有した人たちにも「介護」ではなく「支援」を使っているように思うし、法律も「障害者自立支援法、2013年改め障害者総合支援法」ですもんね。

今のところ僕の中での整理は、人は生まれてから死ぬまで他者や法制度・社会的な仕組みなどによって「支援」を受け、それは「自立した状態」になっても変わることはなく、ただ、支援の質と量は移り変わっていくということで、
「自立」を獲得するまでは「育み」という概念で表現し、自力で生きていける状態になると「自立」という概念で表現され、いったん「自立」を獲得した人が自力でその状態を維持できなくなったときに「介護」という概念が入ってきますが、
「育み」も「介護」も大きくは「支援」の中にあるということです。

 

「福祉を学ぶ」なかに「介護を考える」がある

正しいか間違っているか僕にはわかりませんが、その整理から俯瞰すると「福祉を学ぶ」ということは「人々が幸福に暮らす生活環境とは」を学ぶということになり、
その中で「支援とは」を当然のように考えるだろうし、そのうえで「介護とはを考えること」が学びなのかなと思いました。

僕は、今の仕事に就く自分を「人として生きることを支援する生活支援者」と表現することがありますが、いわゆる介護職や家政婦さん(代行業)とは線を引いてのことです。

その理由は、ここまでに述べてきたかと思いますが、一言で表現すれば「生活支援者として支援することが基本にあり、その向こう側に介護がある」ということです。

要約すると、「できるようにする」「できていることをでき続けられるようにする」「できることを取り戻せるようにする」のために他者が力を働かせることが支援なら、
「できることを他者がしてあげることは代行(代わりにやる)」であり、「できていたことができなくなったことを他者が代行することを介護」だと整理しているということです。

 

高校生から「介護の職業人を目指す」ことには何も言えない

僕は、小学生のころから「日本国有鉄道に入りたい」と一筋に思って中学時代を過ごし、高校進学もそのためにしたのですが、その前、つまり学生時代、それも小学生時代からアルバイトでいろいろなことをしてお金を稼いでいました。

今では考えられない時代背景ですが貧しかったがための児童就労で、そうした経験が今の仕事の中でものすごく活きていると感じていますし、貧しかった環境に「恵まれていた」と思うことさえあります。

 

今、要介護状態にある方々の平均年齢が82歳だとしたら、僕との差は12年ほどです。

僕が経験してきた中のことで言えば11歳のときに米屋で米配達のバイトをしたことがありますが、その時、82歳の方の年齢は23歳ですから、ほとんどの方が職業人となっており、バイトとはいえ11歳の僕と同じような景色を見てきたということになります。

また、僕がこの仕事に就いたのが32歳でしたが、高齢者施設を利用し入居していた明治・大正・昭和初期生まれの方々も昭和30年生まれの僕も、初めてテレビを見たのは同じ時期で、年齢(時間)によるズレはありません。

つまり、生きてきた時代背景に時間差がほぼなく、社会的な価値観のようなものにズレを感じませんし、貧しかったがゆえに経験してきたことが役に立っていると実感できているがゆえに、いろいろ経験して介護の仕事に就くことも良いかなと思ってしまいます。

今の高校生たちが、介護事業に従事して10年も経てば30歳前後となりますが、職員である皆さんも要介護状態にある高齢者も「スマホ」に出会ったのは同じ時期ということになるでしょうから、僕の「テレビ」と同じで、その繰り返しなんですよね。

 

つまり何が言いたいかと言えば「介護を将来の夢、なりたい職業として目指すことをどう思うか」という質問に対して「何も言えない」のでグダグダ書いているだけなのですが、
高齢者の生活支援職に従事しようとする方に伝えたいことは、皆さんと皆さんから支援を受ける方々との間には「埋めようのないズレ」があることを知ったうえで、その起こりうるズレを思考するために遊んでおくと良いと言うことです。

例えばですが、今の高齢者たちは暮らしの中で「はたき」という掃除道具を使っていた方がいますが、今の高校生の親御さんたちは「はたき」を使って掃除なんかしていないと思うので、その子たちである皆さんも知らない掃除道具ではないでしょうか。

その皆さんが「訪問介護事業」で「生活援助:掃除」で訪問した時に「はたきをかけて埃を落としてから掃く・拭くが掃除の基本」だと思っている利用者に「はたきをかけた方がよいでしょうか?」と聞いてから掃除にあたるのと、いきなり掃除機をかけるのでは、ずいぶんと違いますよね。
はたきを使って掃除遊びをしておくと役立つかもしれません。

今の高齢者がバリバリ自立した状態であった頃の街の風景写真やモノを紹介した雑誌や映画を見たり、音楽を聴いたり、喫茶店でお茶してみたり、ファッションに目を向けたり、どれも遊びのなかで知れることばかりです。

僕の経験だと、入居者の方と僕とで「洗濯物の干し方」が違っていましたし、逆にテレビのリモコンは、僕と入居者では年齢差30年以上ありましたが使えていました。また、IHコンロに鍋を乗せて電熱のスイッチを入れると、入居者がジーっとコンロを見て「火がつかない」と言われましたからね。

これも時間のズレによるズレですが、「時間のズレによってズレがあること」と「時間にズレはあってもズレないこと」があり、そういうことに興味をもっておくと良いのではないでしょうか。

 

わかりやすいことに歌があります。

歌をうたうことは時間によるズレはなく18歳も82歳も歌を歌いますが、どの歌を歌うかはかなりズレますね。でもズレにくい歌もあり、代表的なのが唱歌で、18歳でも82歳でも知っている歌が多く「モーいーくつ寝るとお正月・・・」と一緒にすぐに歌えたりしますからね。

グダグダと書くのを止めるべく最後にしますが、自分が「〇〇したい」は反社会的なこと以外「やる(実現)べき」で、「夢」とは「描くコト・モノ」ではなく「描いたコト・モノをつかみ取りにいくことを指す」のではないでしょうか。

ただ、僕が好きなバンドの歌詞にありますが「道草も無駄じゃない」からね。

次回は1月15日ブログにアップさせていただきますね。

 

追伸1

早いもので、2025年最後のブログとなりました。

今年もお付き合いいただき、ありがとうございました。コメントもたくさん寄せていただき、重ねて感謝いたします。

いつもかなり前までめくってコメントを寄せていただいていないか、コメントに対してコメントすることが漏れていないか確認していますが、遅ればせながらコメントをお返しすることがあり、申し訳ない限りです。

僕にとっては皆さんからいただいたコメントを読ませていただくことが悦びであり省みでもあります。

 

追伸2

ベトナムに毎年渡航するようになって8年ほどになり、ベトナム北部から南部まで「日本人は来たことがない」と言われるような町まで訪問させていただきましたが、先般初めて大都市ホーチミン、旧南ベトナム首都サイゴンに宿泊滞在しました。

ホント短い滞在時間での印象ですが、ホーチミンの印象はハノイより「都会」って感じで、僕はごちゃごちゃッとしたハノイの雰囲気の方が「好きだな」と思いました。

ホーチミンで見た光景で脳裏にこびりついたのは「ホーチミン最大の歓楽街の路上に少女が座り込んで乳児に哺乳瓶でミルクを与えている姿」で、僕が子供の頃によく見かけた物乞いするいわゆる乞食さんの姿、多くは男性の姿ですが、それとは根本的に違うと思ったことです。

 

渡り鳥の飛来地 伊豆沼
渡り鳥の飛来地があるということで連れて行ってもらったのは伊豆沼というところでした。初日連れて行ってもらったときは夕方ではありましたが、渡り鳥が三々五々どこかに行っている最中で「朝に飛び立つところがすごいんですヨ」と聞き、6時に迎えに来てもらって行ってきました。
いやぁ、寒くて凍り付きましたが、見とれてしまいましたね。
僕の写メでは伝えきれません。
ぜひ、宮城県伊豆沼(ラムサール条約登録地)を訪ねていただき、鳥たちの「飛び立ち」を見ていただきたいです。

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。淑徳大学客員教授。