いま、タイ・チェンライで介護施設を運営しています。ツッチーです。
最初から簡単ではないと思っていたけど、やっぱり海外で介護をやるっていうのは、いばらの道。
そんな簡単な話ではないです。いま、信念だけで立っている感じです。
僕自身、タイでは外国人って立場。外国人は脆くて厳しいっす。

入居者ゼロの危機と、ノッドさんとの出会い
ある時期、入居者が立て続けに入院し、そのまま退去(この辺り日本と感覚が違うっす)。
経営的にも精神的にもかなり苦しいタイミングで、“新しい入居希望”の相談。
事前情報では、ノッドさん(仮名)は前の施設で一日中車いすに縛られていた認知症の方とのこと。
家族はその扱いにショックを受け、バンコクに連れ帰ったものの、自宅では到底支えきれず——「最後の頼み」と言わんばかりに、ノッドさんの故郷であるチェンライに、飛行機で来てくれました。
僕はさっそく、家族にこう伝えました。
「うちは一切縛りません。人として大切にしますから安心してくださいね」
娘さんもバンコクから来て、ほっとしてくれたような表情。
僕もよかったなと思ったのも束の間…
いきなりの「帰宅願望」大爆発
そんな話をして1時間もたたずに、施設中を揺らすほどの叫び声が響きます。
「帰りたい!!いますぐ家に帰る!!」いろんなものに当たり散らして、大騒ぎ。
涙、震え、混乱。
そんなタイミングで、他の入居者家族が面会に訪れてしまって、
ひだまりホームはすごく静かな施設だったので、その様子を見て、険しい顔で言いました。
「こんな騒ぐ人を受け入れるなら、うちは退去します。」
まだノッドさんが来て1時間、僕自身もまだ状況がつかめないときに、他の家族からのきつーーーい一言。
新しい方を受け入れることで、今までの入居者が出ていきかねない事態に。
僕は「今は旅の疲れで混乱しているだけ。数日で落ち着くと思います」と、根拠もないままなんとか他の入居者の家族を説得。
いやー本当は生きた心地がしなくて、泣きたかったです。
その後、病院に連れていったりして、僕も久々に夜勤2徹で現場をフォロー。
でも、ノッドさんは暴れまわっていたけど、なんか気持ちがわかるんですよ。
このとき、確信はなかったけど、きっとこの人はひだまりホームになじめるって。
スタッフとの対立、そして信念
ノッドさんは来た日から、外へ出ようとする日が続きました。
スタッフが慌てて出口へ走り、村の犬が吠え、車が来れば走り出し乗り込もうとする。
バイクが来れば止めて、乗せてくれとお願いする。
僕も毎回、汗だくで追いかける。
夜勤明けでも関係ありません。
僕が大事にしている「自由を奪わない介護」を、僕が必死になってやろうとしているのを見て、スタッフは最初は協力的で、それが僕の心の支えでした。
ノッドさんは、スイッチが入ると大騒ぎすることがあるのですが、
調子のいい時は洗濯や掃除をしたり、ダンスが得意で、すごくチャーミングな方ということがわかってきました。
ただ、スタッフも本人も当初は呼吸があわず、ささいなことから大騒ぎに。
たびたび問題が起こると、じょじょに、スタッフ達は私の考えに反発するようになっていきました。
「人が足りません!」
「縛ったらだめなんですか?」
「なんでカギをかけないんですか?」
「タイでは普通ですよ。」
僕も迷いがありました。
スタッフを傷つけてまで、やることなのか。
縛ったほうが楽じゃないか。
自問自答する日が続きました。
でも、スタッフだって、いやむしろスタッフのほうが、本来のノッドさんを知っているじゃないか。
僕は、人を縛るために、タイに介護をしにきたんじゃない。
嫌われてもいいんで、信念を貫こうって。
ノー装備の追跡劇、そして村の温かさ
そんなある日、スタッフたちがバタバタしているその一瞬のスキをついて、ノッドさんが裏口から外へ出てしまいました。
気づいたのは、なぜか僕だけ。
慌てて追いかけたんですが、この時スマホも財布もパスポートもなし。タイ語も話せない。気づけば、完全に“ノー装備”での追跡戦。
この時点で、いちばん不審者なのは僕です。
車を止めなければ外に出てもいいんだけど、車を止めたり人の家にあがりこんだりされちゃうと、やっぱり困る。
今日はどっちか?
外へ出るノッドさんを見て、村の人たちは「また散歩かな?」みたいな顔。
この村では日本人は僕だけなので、「ああ、あそこの施設の人ね」と察してくれるようでした。
ノッドさんは、まるで何かに導かれるようにどんどん歩き続け、村の知らない人と数十年の知り合いかのように会話を交わしていきます(知り合いじゃないのに、なぜか通じている感じ)。
僕はその後ろで、「すみませーん!」って日本語で叫びながらつかず離れずで追跡。どちらかというと僕が不審者。
30分ほど経ったころ、ようやく気づきました。――あれ、やばい。遠くまで来すぎた。
夕焼けが夜に変わり始め、戻ろうとノッドさんにジェスチャーしても、ノッドさんはまっすぐホームの反対方向へ(泣)
どうしてそっち行っちゃうんだ…。
そして、ついに道の真ん中で疲れ果て、座り込み、泣き叫び出してしまいました。
周囲には村の人が集まり始め、完全にカオス。
この状況は説明しようがない。正直、僕も泣きたい。
ノッドさんもたぶん「帰りたーい」って泣き叫んでたけど。僕も同じくらい「帰りたーい」って泣き叫びたい。
最終的には「すみません!」と謝りながら、ノッドさんを抱きかかえて帰ることに。
正直に言います。途中で2回落としました(もちろんソフトにですが、腕が限界で…)。
もう汗びっしょり、全身ぐしゃぐしゃ。
真っ暗になってホームに戻ると、タイ人スタッフ達は「社長と一緒だから大丈夫かと思って」と言う。
おい、探しに来いよ!!!!
疲れ果てたノッドさんは、ちょっと申し訳なさそうな顔。でも、きっとまた明日も外に出たいんだろうな。まあ、それでいいけど。
そのあと、通訳を連れて村の人達に謝りに行ったら、「気にするなよ、それより飯食ってけ」と…。(そこがローカル食堂だったんで)ご飯を食べて帰りました。
……さて、村の人たちはどう思っただろう。
「あそこの施設、今日も賑やかだったな」そう思ってくれていたら、ちょっと救われますけどね。
「本気の拒否」の裏にある不安
ノッドさんの混乱行動には、「帰りたい」「外に行きたい」という表面的な言葉以上の“根っこ”があるような気がします。
ある日の夜10時ごろ、「ノッドさんが外に出ようとしていて止められない」と連絡を受けて、急遽現場に行くことに。
僕がついたころには落ちついてはいたのですが、どうやら薬を飲みたくないというところからだったみたい。
「この薬は悪魔の薬だ!飲んだら体がおかしくなる!」って言うんです。
それは、ただ嫌がっているのではなく、強い恐怖と不安が混ざった“本気の拒否”でした。
たしかに最近薬の処方が変わったというのは事実。
日中も眠気が強かったので、体の変化に本人自身が不安を感じていたのだと思います。
僕はノッドさんをじっと見て、言葉ではなく動きや表情を使ってゆっくりと伝えました。
「来週、先生に一緒に相談するから、今日のところは、薬を飲んでもらえますか?今日は僕もここに泊まるから、大丈夫。」
すぐには納得しなくても、その“安心の予告”が効いたのか、
しばらくして表情がやわらいで、あれだけ拒否していた薬を飲んでくれました。
不思議なもので、ノッドさんは僕が日本人で、言葉がわからないことをわかっているんですが、僕の意見はよく聞いてくれるようになりました。
スタッフの意見は聞かないみたい。
僕は現場にずっといるわけではないので、ちょうどよい距離感なのかもしれないですけどね。
「一緒にいてほしい」と言われた日
夜勤が続いていたある日の夜勤明け、さあ帰ろうとした時にノッドさんが僕の横に来て、タイ語でいろいろ話しかけてきました。
最初は何を言っているのかわからなかったのですが、途中でふと気づいたんです。たぶん、通院に僕についてきてほしいんだ。
「いやいや、僕タイ語わからんし、先生の説明も理解できないですよ!」と全力でボディランゲージ否定をしましたが(笑)、それでも僕に来てほしいみたい。
前回、診察中に混乱が強まり大騒ぎになったとき、僕がそばについていたことを覚えていたのかもしれません。
このとき、やっぱり再確認しました。
言葉が通じなくても、「大丈夫だと思える人」か「不安が増す人」かは、一瞬で伝わってしまう。
言葉以上の何かってものがあるんだと思います。
それは、大騒ぎして、外に出て、ぼろっぼろっになりながらも、ノッドさんを信じていることが伝わっているからじゃないかって思うんです。
介護は、やっぱり“関係性の仕事”なんだと。言語じゃないなにかがあるんだなって。
コーヒー袋を隠した日。大切だからこそ“本気で怒った”
そんなわけで、安定しない日が続きながらも、少しずつノッドさんは“生活の一部を一緒に作る時間”も生まれてきました。
そんなある日、コーヒーのパッケージ作業を入居者さんたちと一緒にしていたときのこと。
最後に数を確認すると、ひとつ足りない。
スタッフが探してみると、ノッドさんのバッグの中からコーヒーが出てきました。
シールを剥がされかけていて、自分のものにしようとしていたようです。
ピック症状の一種ですが、それでも僕たちにとっては大切なコーヒー。
このときばかりは、「まあいいや」では済ませませんでした。
僕はわざと困った顔をし、しっかりと目を見て、ゆっくり、真剣に伝えました。(まさかの日本語で!)「これはみんなの大切なコーヒーです。勝手に持って行ってはダメです。」
言葉は通じなくても、表情の真剣さだけは確実に届く。
日本語ですが、普段はやさしい私が本気で怒っていることを、察したと思います。
逆のほうにスイッチが入る可能性もあって、大騒ぎするかもしれなかったんですが、
ノッドさんは、しゅんとし、「コートート(ごめんなさい)」を繰り返しました。
そして——その後も「ごめんなさいモード」に入り続け、帰ろうとする僕を何度も引き止めて謝り続けるほどでした。
その時思ったのは、なんだか、ノッドさん、「自分もスタッフの一員でありたい」という気持ちがにじんでいるような気がしたんですよね。
関係性が深まるとは、こういうことなんだと思う
怒るときは怒る。寄り添うときは寄り添う。付き添ってほしいと言われれば、できる範囲で寄り添う。
その積み重ねが、ノッドさんとの関係性を少しずつ育てていきました。
「言葉は通じなくても信頼は育つ」とよく言いますが、実際に海外で介護をしていると、それを毎日実感します。
本人も、スタッフも、そして地域も“慣れてきた”
長い混乱期を越えても、ノッドさんの毎日が“安定”という言葉だけで語れるわけではないです。
ただ確かなことは、以前とは明らかに「違う空気」が、ひだまりホームに流れ始めた気がします。
最初の頃はスタッフたちも、「どう声をかけたらいいのか」「この行動にはどう対応すべきか」と迷いながら関わっていました。
もしかすると、ツッチーさんは頭がおかしいんじゃないかと思われていたかもしれないです。
でも、混乱の理由を探り、不安の根っこに寄り添い、リスク判断を続けるうちに、みんなノッドさんの“行動の意味”が読めるようになってきた。
これは、本当に大きかったです。
近所の人にも挨拶に行き、理解を得た
外出騒動が続いた頃、僕たちは近所の人へ挨拶まわりをしました。
ノッドさんの状況、ひだまりホームの考え、外出の見守り姿勢。
これを丁寧に伝えると、村の人たちは「わかったよ~」「また何かあれば言ってね」「ただ野犬には気を付けてね!」と受け入れてくれました(野犬がいるんです(笑))。
もともと温かい地域ではありましたが、“理解”があるのとないのとでは、安心感がまったく違う。
これも、ノッドさんの暮らしを支える大切な環境のひとつになりました。
というかノッドさんのおかげで、地域の人とつながれた部分すらあります。
そして現在。外に飛び出すことは、ほとんどなくなった
ノッドさんはときおり寂しそうな顔をすることもあります。
表情に影が落ちる瞬間は、どうしてもある。
でも——自分から外へ飛び出していくことは、もうほとんどありません。
あれだけ何度も外に行きたがり、泣き叫び、座り込み、抱えて戻る日々だったのに。
もちろん、完璧に落ち着いたわけではないし、まだ波はあります。
でも、少なくとも「ひだまりホームという場所に根を下ろし始めている」そんな実感があります。
娘さんが来た時だけは、世界がひっくり返る
ただし——娘さんが来ると話は別。「一緒に帰る!いま帰る!」と大騒ぎするのは、相変わらずです。
それはもう、泣き笑いしながら見守るしかない。
長年過ごした家族への想いは、僕たちには到底かなわない部分です。
でも、それでいいと思っています。
それが“その人らしさ”だから。
なんていっても、まあ、まだわかりませんけどね!
明日、また外に行きたいってなっても、僕はついていきますよ!








