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見守らないという配慮

介護負担を表現するときに全介助、一部介助、見守りなどの言葉が用いられます。中でも「見守り」は直接介助の手を差し伸べる必要はないという点で介護負担の少ない状態と言えます。

しかし、介護負担とは、つい介護する側の負担と考えてしまいがちですが、介護を必要とする人にとっての負担も考えなければならないと思います。

例えば、施設内への入退出時に靴の脱ぎ履きをされている方に「自分でできますから」、「大丈夫ですから」と言われることがあります。

何気なく介助した、あるいは介助しようとした訳でもなく「自分でできますから」と本人が言われることの意味を考えてみました。おそらく、ただ見守られているだけでも、本人にとっては大きな負担だったのでしょう。

靴の脱ぎ履きはもちろん自分でできる、しかし時間はかかる、その中で他者に見守られるとはストレス以外の何ものでもないと思います。不慣れな仕事をするのに上司から監視されているような状況と変わらないのかもしれません。

誰かに見られていると感じるだけでもやりにくい、私なら放っといて欲しい場面だと単純に共感できました。

 

「見守り」という状態を改めて考えますと、介護負担が軽いのは介護者なのであって、本人には大きな精神的負担がのしかかっていたのです。

そう言えば、安全のためにと軽く身体に触れるだけでも嫌がる方、介助の手を差し伸べようとすると「ちょっと待って」と本人のスペースを乱されるのを嫌う方、介護と称していかに本人の動きを邪魔し、ストレスをかけてしまっていたのだろうかと反省します。

もちろん、安全を確保するのは介護者の使命ですから、“見守らないように見守る”という介護技術、と言いますか目上の方と関わるときのマナーを身につけなければなりません。

大人が何か動作をしているのを、また別の大人がじっと見ている。大人がどこか移動しようとしているのを、また別な大人がついて歩く。冷静に見ればとてもおかしな光景であることを忘れないでいたいと思います。

 

直接的に何か手助けをするだけが介護ではありません。

できる人にはあえて見守らないということが大人どうしの配慮であり、介護の大切なマナーの一つと言えるのではないでしょうか。

 

見守らない配慮

筆者
大堀 具視(おおほり ともみ)
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