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健達ねっと>マガジン>羅針盤>和田行男>「環境は変えないほうが良い」を再考熟慮する

「環境は変えないほうが良い」を再考熟慮する

随分前の話ですが、ある新聞を読んでいたらこの業界で著名な方が「認知症の人は環境を変えないこと」と書かれていて驚きました。

このブログでも「認知症の症状にある人は環境変化に弱いから環境を変えずに過ごしてもらっています」というコメントをいただいたことがあります。

 

みんな・・・は危うい

こうした話に僕は疑問をもってしまいますが、ひとつは「認知症の人は」と一括りにして語られていることに対してです。

 

以前、認知症という状態にある方から「認知症の人はみんな話せるんです」という言葉がでてきたので「話せない人もいるからみんなって言わないようにしませんか」と言わせていただいたことがあります。

同じように「みんな、そう思っていますよ」といったことを言われる方がいましたので「みんなって、どなたとどなたですか」と聞くと、実は言っていた本人しか思っていなかったことがわかったことがあり、みんなの中に入れ込まれていた方は「一緒にしないで欲しい」とも言っていました。

また「たくさんの施設を見てきました」って壇上で言われた方が客席から「たくさんとは何か所ですか」と聞かれ、タジタジになっていたことがありました。

 

つい、自分の言っていることのバックに「みんな」「たくさんいる」と言ってしまいがちで又、さもそうであるかのように聞いてしまいがちですが、危うい言い方であり、危うい聞き流しです。

今、認知症という状態にある人は推計600万人と言われていますから「認知症の人は=600万人は」ってことですからね。代表できないでしょう。

 

環境を変えない方が良いでは自分たちの存在意味を失う

もうひとつの疑問は「環境を変えない方が良い」という固定的な思考です。

30年くらい前はよく「環境変化によるダメージが大きい」と言われていて僕も受け流していましたが、「環境を変えない方が良い」を受け入れてしまえば、介護事業で訪問系以外の環境を変える事業従事者は「良くない環境固定下での仕事」となってしまい、自分たちの意味を失いますからね。

 

適切を追い求める専門職

このブログを読んでくださっている介護関係の専門職の皆さんも経験しているかと思いますが、皆さんの支援を受けることで身近にいた家族等からよい意味で「変わった」と言ってもらえていることがあるのではないでしょうか。

認知症という状態にある人が家族とだけ過ごしていた環境から、デイサービスという新しい環境下に身を置くようになって、
最初は通所されることを嫌がり、通所しても帰りたがり、滞在中他者とかかわろうともしなかった方が、にこにこしながらデイサービスに出かけるようになり、他者と一緒に何かに興じるようになったという話は身近にありますし、あちこちで聞く話でもあります。

又、Aというデイサービス(A環境)では変わらなくてもBというデイサービス(B環境)に行くようになって変わったということもあることでしょう。

環境を変えない方が良いのではなく、適切な環境を構築するように仕事をすることが僕らにとっては大事なことで、その「環境」には支援者である家族、僕ら専門職も含まれているし、他の利用者・入居者も含まれますから、
家族への支援はもとより「利用者間・入居者間の関係への支援」も必要になると言うことではないでしょうか。
介護保険事業名で言えば「認知症対応型共同生活介護(俗称:グループホーム)」の「共同生活介護」ですが、これが難しいし愉しくもありますよね。

 

全国各地で「生きる姿」が専門職の仕事の成果

しかも、適切な環境かどうかは「利用者・入居者の生きる姿」と「共に暮らしてきた方の言葉」でしかはかれないと僕は考え・捉えて挑むことを大事にして実践してきました。

 

「母親が、お風呂に入ったんですかぁ。いつ以来でしょう。ありがたいです」

「あのお父さんが、お掃除をしているなんて、どうしちゃったんでしょう」

「認知症の診断を受けた初期の頃に戻ったみたいです」

「親父が他の利用者・入居者とあんなに楽しそうに話をしているなんて信じられません」

 

全国あちこちで、こんな声を聴いてきましたが、生活支援を追求する専門職ってすごいですよね。生きる姿を変えちゃいますから。

もちろん逆の声もありますが、生活支援を追求する専門職がいなかったら、そもそもこうしたステキ声は聞かれなかったんでしょうからね。

 

追伸

どんどん減り続ける「産まれてくる子供の数」ですが、2024年は日本中で約69万人だったそうで大きな話題になっています。

ちなみに調べると、僕が生まれた1955年は181万人。前回大阪万博の年55年前の1970年は195万人、21世紀に突入した2001年は118万人。
この間のピークは1968年191万人から毎年前年を上回った1973年の213万人ですから、2024年の三倍強。
逆に見れば、僕が高校生の頃の三分の一になったってことですから激減と言っても過言ではないでしょう。

あと30年もすれば総人口が1億人を切り高齢化率は40%弱となるようですが、高齢者が増えることが問題ではなく、産まれてくる子供が増えないことが大問題ではないかと思います。

極な話をすると、子どもは親の子ではなく社会の子であり、親の(経済)環境に左右されないように社会全体で育むべきで、
子どもが我が道を進もうとしたときに、その意志の強さを社会的に求めることは致し方ないとしても「選択権を保証する社会的な仕組み」にするべきではないかと思いますが、難しいんでしょうかね。

親の経済環境で子供を産めない・子どもが諦めないといけないというのは国として情けないと思うのですが、どうなんでしょう。
僕の考え方が違っていますかね。

1987年、この仕事に就いてからずっと、これからこの国にとって必要なのは「高齢者施策」だけど、普遍的に大事なのは「子ども施策」だと思ってきましたが、
出生率が70万人を切った状況になり報道番組で「子育てはお金がかかるから」とインタビューされている国民の声を聞いていると、今の米騒動と同じに思えてしまうのは僕だけでしょうか。

1983年、乾燥した大陸オーストラリアに行き現地に住まう日本人に「日本は今、水不足で大変なんです。オーストラリアは大丈夫ですか」と聞いたら「国の施策が悪いから国民にしわ寄せがくるんだよ」と言われたことを思い出します。

 

先日、中国地方山間部で川岸を優雅に舞うホタルを目にしましたが、高速道路パーキングのトイレに入って床を見ると、なんとホタルが!

高速道路パーキングのトイレの床になんとホタルが

地面に落ちて美しく濡れているイチョウの葉
先日、雨風強い東京の下町を下向いて歩いていたときに目に入った“芸術作品”です。
昭和の大歌手は「上を向いて歩こう」と歌いあげ人々を勇気づけましたが、僕はキョロキョロタイプなので上も下も横も斜めも目に入れながら歩いています。
人生、下向きで見得るステキな景色もありますよね。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。淑徳大学客員教授。