洪水の中、命からがら、空港へ
洪水の中、タクシーの運転手に道路の真ん中で放り出され、ふくらはぎまで水につかる中、スーツケースを肩で担ぎながら茫然としていると、なんとかピックアップトラックのお兄さんに拾われ、九死に一生を得て、空港までたどり着きました。
びしょ濡れになりながら空港に着くと、トラックのお兄さんに心から感謝の気持ちでいっぱいになり、その時持っていたありったけのタイの現金を、お兄さんとその子どもたちに渡しました。
運転手のお兄さんは受け取ってくれなかったのですが、子供たちには手渡しました。
日本円で3万円くらいだったと思いますが、あんな危険なところを見ず知らずの私のために走ってくれたのですから、気持ちを示さなければと思ったのです。
そんなわけで、なんとか空港に着いたものの、「ひだまりホーム」はどうなっているのか、羽田さんや入居者さんたちは無事なのか、心配で仕方がありませんでした。
連絡がつかないまま、不安を抱えながら飛行機に乗りました。
経由地のバンコクに到着した時には、とりあえず「ひだまりホームが無事」と聞いて一安心しました。
ただ、洪水というものは本当に怖いもので、1日目より2日目、2日目より3日目と、どんどん水があふれ出していくのです。
ひだまりホームが大ピンチ
ハノイに到着した翌日、私はフェイスブックを見て愕然としました。
なんと、「ひだまりホーム」も被災し、避難しているという情報が入ってきたのです。さらに翌日には、避難先の教会も被災し、もっと遠くの大学に避難しているとのことでした。
数日前に一緒にアクティビティをした入居者たちが、今大変な状況になっていることを知り、本当に心配になりました。
羽田さんに連絡を取ってみると、入居者さんは無事だったものの、復旧の見通しが立たず、ホームが再開できるかどうかもわからないとのことでした。
私はいてもたってもいられず、今の自分に何ができるのか考えました。
クラウドファンディングやチャリティーイベントを企画して少しでも協力できないかと思いました。
しかしそうした一時的なイベントは、第三者の私が目立つだけであり、実際には「ひだまりホーム」の負担を増やすことになるかもしれない。
本当の支援にはならないと気づき、無力感を噛みしめながら、ただひたすら「ひだまりホーム」が元の素敵な状態に戻ることを祈るばかりでした。
ベトナムでの別れと次のステップを考える
そんな気持ちを抱えながら、私は6年間働いたベトナムの介護施設に退職の意思を伝えました。
すぐに辞めることはできなかったので、1ヶ月後に退職が決まり、それからは社長やスタッフ、入居者さん、そして日本で介護を目指す学生たちに最後の挨拶をしながら、日本とベトナムを行ったり来たりする日々が続きました。
最後には母を日本からベトナムに連れてきて、6年間の感謝を伝え、会社や老人ホーム、デイサービスのスタッフや入居者さんたち、介護学校の方々にも盛大に送り出してもらいました。
名残惜しい気持ちがあり、自分で決めたことだとは言え、少し辞めてしまったことを残念に思った瞬間もありました。
ベトナムで仕事を辞めた後は、しばらく岩手の実家の手伝いをしながら、次のステップについて考えていました。
まあ、無職だったのですが(笑)、こうした人生の休憩期間も大切かもしれないと思っています。この時、岩手での就職も考え、介護関係の方々とたくさん話をしました。
海外と日本の介護の違いや、福祉とは何か、イギリスやベトナムでの経験を通じて、「人と人とのかかわり」には大きな違いがないと感じました。
違うのは、高齢化率や平均寿命、各国の制度であって、本質的には変わらないのではないかと思ったのです。
ひだまりホーム閉鎖の危機、そしてまさかの展開
タイのチェンライの洪水から1ヶ月半が過ぎ、「ひだまりホーム」は当初、断水が1ヶ月続くと思われていたそうですが、2週間ほどで水も回復し、フェイスブックを見る限り、徐々に元の状態に戻りつつあるようでした。
「入居者さんも戻ってきてる!ああ~よかった」と思った矢先、ある日フェイスブックを見ていると、「チェンライで事業を引き継ぐ人が見つからず、「ひだまりホーム」を年内で閉じるかもしれない」という情報が目に留まりました。
フェイスブックでは復旧が進んでいるように見えていたので、思わず「うそでしょ!?」という気持ちになりました。
以前訪問した時にアクティビティをしたおばあちゃんたちやその家族が、「ひだまりホーム」が閉まることを残念がっていると聞いて、なんで閉めなければならないのだろう、辞めるべきではないと強く思いました。
この時、私はベトナムの会社を辞めていたため、ある程度自由に行動できる状況でした。
もしかしたら、なんとかできるかもしれないと感じ、以前からお世話になっているQLSホールディングスの雨田社長に事情を説明し、ひだまりホームを続けられないか相談しました。
すると、私が社長として責任を持つ覚悟があるなら、施設を譲り受けてくれるという話になったのです!まさかの展開でした!
ひだまりホームの譲受、そして新たな挑戦
それから、雨田社長と羽田さんが話し合い、「ひだまりホーム」を私が引き継ぐことで話が進み始めました。これが2024年の11月のことです。
事業譲受が成立するまでの約3ヶ月間、昼間はQLSホールディングスの浅草にある介護施設でスタッフとして働き、夜はチェンライの「ひだまりホーム」を引き継ぐための準備に明け暮れ、本当に走り続けました。
経営のことは初めてで、タイという外国の法律、会計、手続きを進めるのは非常に大変でした。
すごく忙しかったのですが、やりたかったことだし、昼間働く浅草の施設のスタッフや入居者さんが非常に親切で、心が落ち着くひとときでもありました。
介護の現場での仕事を通じて、心のバランスが取れた気もします。そして、この3ヶ月の間にタイの会社設立や介護に関する法律・手続きについてかなり詳しくなりました(笑)。
そして、2025年1月27日には、QLSホールディングスの雨田社長と光田専務と一緒にチェンライを訪れ、正式に「ひだまりホーム」を譲り受ける運びとなりました。
ここまで本当に運命としか思えないような出会いやタイミングの連続で、仕事を辞めるべきか悩んでいた時にチェンライの「ひだまりホーム」を訪れ、その日に洪水に遭遇し、それでも利用者さんの顔を思い浮かべながら走り続けることができました。
形にできて、本当に良かったと思います。今回ばかりは、自分を褒めてあげたいです。
ひだまりホーム。未来への決意
タイ・チェンライ「ひだまりホーム」は小さな施設ですが、大きな夢を持つホームです!
現地のスタッフはとても純粋で、地域の人たちも協力的で、その姿に希望を感じています。
私の役割は、これまでの想いを引き継ぎながら、タイのスタッフや入居者さんが長く安心して暮らせる環境をつくることです!
やってみないとわからないことばかりだし、さまざまな困難が待ち受けていると思います。
無謀な挑戦であることを承知のうえで、体当たりでニーズに向き合い、現地の人たち、地域、そしてタイという国に愛されるよう頑張りたいと思います!
いつか日本で働いたタイ人の介護士が、母国に戻った際にここを訪ねてくれるような場所を目指します。
そういう日が必ず来るように、全力で努力します!
これから時々、ブログでタイの近況をお伝えしていきますので、日本のみなさん、「ひだまりホーム」を応援していただけたら嬉しいです!
よろしくお願いいたします!