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あらすじ
レコード会社に勤める葛西泉は、ピアノ教師の母・百合子との間に深い溝を抱えたまま大人になった。
泉の妻・香織が妊娠し、間もなく子どもが生まれようとするころ、百合子が認知症と診断される。
母の記憶が失われていく一方で、泉はある日、母の部屋で一冊のノートを発見する。
そこには、泉が決して忘れることのできない事件の真相がつづられていた。
記憶を失っていく母と、封印していた記憶と向き合う息子の物語。
特徴・見どころ
もし、あなたの最愛の母が、あなたの記憶を失ってしまったら。
そして、その母が失っていく記憶の中に、あなたが忘れていた「大切な真実」が隠されていたとしたら。
本作『百花』は、認知症で記憶を失っていく母と、その息子が織りなす、深く、切なく、そして美しい親子の物語です。
本作は、数々のヒット作を生み出してきたプロデューサー・川村元気が、自身の小説を原作に、初めて自らメガホンを取った意欲作。
主人公である息子・泉を菅田将暉さん、そして記憶を失っていく母・百合子を原田美枝子さんという、日本映画界を代表する二人がW主演を務めています。
これは、単なる「お涙頂戴」の介護物語ではありません。
観る者自身の心の奥底にある「親子の記憶」を、静かに、しかし激しく揺さぶる、魂の感動作です。
「忘れる母」と「思い出す息子」
物語は、レコード会社に勤務する泉(菅田将暉)のもとに、母・百合子(原田美枝子)が認知症を発症したという現実が突きつけられるところから始まります。
百合子の記憶は、ゆっくりと、しかし確実に失われていきます。
息子の名前、現在の生活、そして過去の思い出。
それは、息子である泉にとって、母という存在そのものが消えていくような、耐え難い恐怖と喪失感をもたらします。
しかし、本作の構成が秀逸なのは、ここからです。
百合子の記憶が「現在」から「過去」へと遡っていくのと反比例するように、泉は、これまで心の奥底に「封印」してきた、ある過去の記憶と向き合わざるを得なくなるのです。
母が忘れていくからこそ、息子は思い出さなければならない。
この「忘却」と「想起」が交錯する構成が、本作にミステリーのような深みを与えています。
「本当に忘れているのは、どちらですか?」
本作は、私たち観客に、そして主人公の泉に、一つの鋭い問いを投げかけます。
「忘れてしまう人」として描かれがちな認知症の当事者。
しかし、「本当に忘れているのは、どちらなのでしょうか」と。
泉には、過去に母に「捨てられた」という、心の傷がありました。
そのわだかまりが、彼と母との間には、見えない壁を作っていたのです。
彼は、自分を傷つけたその記憶を「忘れる」ことなく、ずっと抱え続けてきました。
しかし、母の記憶が混乱していく中で、泉は知ることになります。
自分が、その「わだかまり」以外の、母との間にあったはずの、もっと大切な多くの記憶を、都合よく「忘れて」いたのではないか、と。
認知症という病が、皮肉にも、息子が忘れていた「真実」を炙り出していく。
この痛みを伴う記憶の旅こそが、本作の核心です。
「半分の花火」の謎が解けるとき
物語を貫く、最も重要な謎。
それが「半分の花火」の記憶です。
なぜ、母は「半分の花火」のことだけを、今も鮮明に覚えているのか。
それは、泉が忘れてしまった、あるいは知らなかった、母の深い愛の記憶と直結していました。
原田美枝子さんは、記憶が失われていく混乱と恐怖、そして、それでも消えない「母性」そのものを、圧巻の演技で体現しています。
そして菅田将暉さんは、母への愛と憎しみ、そして真実を知っていく過程での後悔と赦しという、複雑な感情の機微を、繊細に演じきっています。
すべての記憶が失われても、魂に刻まれた「愛」は消えないのかもしれない。
「半分の花火」の謎が解けるとき、親子の間にあった深い絆が、静かに、しかし力強く心に響きます。
本作は、認知症の家族との向き合い方を考えさせられると同時に、私たち自身の「親子の記憶」と向き合うきっかけを与えてくれる、かけがえのない一作です。









