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我が思考と実践の軸となった戦争体験の語り

1945年8月15日 戦争が終わった日

80年前の今日は、忌まわしい第二次世界大戦が終わった日で、それにちなんだテレビ番組が数日前から各局で放送されていました。

自宅であれこれ作業等をしながらの「垣間見」でしたが、新しい事実(情報)も登場してきているようで「ヘーッ」と驚く話もありました。

 

僕は1955年生まれなので「戦争を知らない子供たち」の一員。

僕の両親世代は第二次世界大戦下に生きて居た人たちですが、戦時中は「子どもの頃」だったから憶えていないのか、その当時のことは思い出したくないからなのか戦争に関する話を親から聞いたことがないですね。

 

でも、親戚の中には子供の僕に人目に付かないようにして「目隠しをされ両手を後方で縛られて座らされ、日本兵に首を切られ、今まさに首が宙を舞っているところまで写された写真」や「貨物列車に山積みにされた死体の写真」を見せてくれ

「学校では、こんなことまで教えてくれんやろうけど、戦争はヒトを変えてしまう魔物。絶対にしてはいけない」と言ってくれた人がいました。

 

なぜ、この話を聞かせたのか

1987年介護の仕事に就くまで戦争体験者から戦争について直接話を聞く機会はありませんでしたが、僕が介護の仕事に就いたころの特別養護老人ホームには明治時代に生まれた方も多くいて、

時代的に「戦争体験者」しか入居されていませんでしたので入居者から戦時中の話を聞くことがたまにありました。

ただ、皆さん、あまり語りたがらなかった気がしていましたので僕から聞くこともありませんでしたがね。

また、このブログを書いていて思い出しましたが、食事で「納豆(禁)・グレープフルーツ(禁)」といったように「禁止事項」について表示したり語ったりしますが「戦争話(禁)」という方がいましたね。

 

テレビ番組で著名な野球選手が、ずっと自身の「被ばく」について語らなかったようですが、ある方の言葉で語るようになったと話されていました。

きっと「思い出したくはない、でも忘れてはならない、そのためには体験者自身が語る継ぐことでしか成せない」ということでしょうか。

僕自身は、そう思うからかテレビなどで戦争体験を話されている方の話は聞き入ってしまいます。

 

そんな中、僕の心にグサッと刺さったのは特別養護老人ホーム入所者ガンさん(仮名 男性入居者)の話でした。

 

ガンさんは70歳代で脳血管性疾患を患い半身まひになった方ですが、認知症という状態にはなく話し好きの方でした。

ある朝、起床介助のためにお部屋を訪ね、いつも通りパジャマから日中衣に着替え、車いすに座っていただくと
突然何故か「和田さん、戦争中、赤十字のマークが入った大きな船があってね、その船は戦争で傷ついた軍人を乗せて本国に還す船だったんだが、あの忌まわしい戦争の中にあって、その船は攻撃しちゃいけなかったんだよ」と話してくれました。

その話の正当性がどうかなんて考えることはなく「なぜ、この方は僕にこの話を聞かせたんだろう」と思うばかりでしたし、今も話された「真意」を考えるときがあります。

 

話を聞いた当時も、30数年経った今でも「赤十字のマークは、傷んだ人たちを搬送している船だということを周りに知らせている。それにもかかわらずその船を攻撃するということは、傷んだ人たちを更に痛めつけることであり、例え戦時下であったとしても、それは人として許さない」ということであり「人の中にある慈悲(他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き)の現れとしての行為」とその話を解釈していますが、

ガンさんが僕に話した本当の理由は、戦時下における人がもつ慈悲の話を聞かせたかったのではなく「老人ホームに入居している自分たちと、それを支援している僕ら職員の関係を語りたかったのではないか」と思っていて、

それが僕の思考と実践の軸になっていると言っても過言ではないほどの「思い込み(かもしれないがも包容したうえで)」となっています。

 

傷んだ人間を更に痛めつけてやしないかい

特別養護老人ホームに限らず介護事業所を利用・入居される利用者・入居者の多くは「要介護状態」にある方で、他人様の力なくしては生きていけない状態にあると言っても過言ではなく、

その方々の圧倒的多数は「要介護状態になりたくてなったわけではなく不本意な状態」でしょうから、その状態になること自体「傷ついた状態」と言っても差し支えないでしょう。

 

その上でガンさんの言葉を考えると「自分は今の状態になることを望んだわけではなく、ここ(特別養護老人ホーム)に入りたいと思って生きてきたわけじゃない=傷ついた状態なんだよ」と言いたかったのではないかと思うし、

僕に「その状態にある自分たちを更に痛めつけてやしないか」ということを問いたかったのではないかと思っているということですが、そんなモヤモヤが残っていたあるとき、こんな場面を迎えました。

 

入浴のお誘いにうかがった際、ガンさんが「ゆっくり入りたいもんだ」と言葉を洩らされました。

赤十字の船の話もあったので、新米職員の僕でしたが思い切って他の職員にお願いして、マンツーマンでガンさんの入浴支援にあたらせてもらうことにしました。

 

僕が勤めていた当時のその施設では支援体制について試行錯誤していましたが、入浴に関しては「入浴のお誘いの言葉をかけるところから浴室への移動・更衣(外介助)・入浴(中介助)・更衣・居室への移動、ありがとうございました」まで一人の職員が一人の入居者の支援にあたる「マンツーマン方式」ではなく「移動」「外介助(更衣等)」「中介助(入浴)」を分担する方式をとっていましたので、

他の職員に「お願い」をしないと「マンツーマンでの入浴」は「ひとりよがり」になってしまいますからね。

 

お部屋から浴室まで車いすで移動し、脱衣して入室。

いつも以上に意識をしていろいろな話をしながらの入浴支援をさせていただきましたが、洗髪を終えたときガンさんが僕に「和田さんに入れてもらうと気持ちいいよ」と言われました。

 

そこで僕は、浴室を出て着替えを終えてお水を一杯飲んでいただいたときに

「ガンさん、さきほど僕に入れてもらうと気持ちいいと言ってくれましたが、今日僕がガンさんにゆっくりお風呂に入っていただくために他の職員にお願いをしたんです。

つまり、僕がガンさんにじっくりかかわらせてもらえた分、他の職員はいつも以上にバタバタしているし、他の入居者はいつも以上にバタバタ感を抱いているはずです。だから、他の職員さんや入居者さんに感謝!感謝!」と言わせていただきました。

 

この出来事の入口となったガンさんの「ゆっくり入りたい」という言葉は「時間のはなし」ではなく「人として大事にされている感をもてるように」と言われた気がしましたし、

何よりガンさんは自分のことだけじゃなく他の入居者への職員のかかわりを見ていて「大事にされていない」と感じているのではないかと思いつつあったタイミングだったので、

「みんな、ガンさんたちのことを大事に思っていますよ。それだけは知っておいてね」って返したかったんです。

 

利用者・入居者の言動は僕のセンセイ

まだ介護の仕事に就いて1年経っていない頃の出来事でしたが、僕の中に「そもそも傷んでいる利用者・入居者をさらに痛めつける僕や仕組みであってはならない」ということが刻まれましたし

「優先順位で考える」とか「大事にされている感を大事にする」といったような今の僕の思考・実践の基礎ができあがった経験となりました。

きっとガンさんは介護の仕事に就いたばかりの僕に「ボーッと仕事してんじゃねェ」とカツを注入してくれたのではないかと思っています。

でも実は僕の思い過ぎで、単なる「戦時中にあっても人にある慈悲」の話をしてくれただけなのかもしれませんがね。

 

戦争体験から僕に何かを伝えようとしてくれたガンさんの「何か」はガンさん以外知る由もないですが、

人の言葉って「言葉を放った方にとってはコレ」かもしれませんが「言葉を受けとった方は、コレかな、アレかな、ソレかもと展開が生まれる」ところに面白さと怖さがあり、

それも受け手で決まるんだって思えば、ただガンさんには感謝しかないですね。

 

毎年、この時期になると枕元には出てきませんが頭の中に甦るガンさんです。

生きていれば112歳になる御方です。

 

追伸

僕が20歳代の頃、よく訪ねていた北海道は「台風のない避暑地」で「海で泳げる期間は1週間あるかないか」「お盆を過ぎるとストーブをたく地域もあるし、現にあった」という「北の国」のイメージでしたが、
数年前に訪ねたときは台風で札幌市内の木々が倒れていたし、国産米の主要な産地になったし、ブリが獲れる海になり、いよいよ今年は38度だ!40度だ!と沖縄より気温が高い「南の国」のイメージに様変わりしてしまいました。

この先「我が地球は」どうなっていくのかと思うにつけ「我が国ファースト」なんて言っている場合じゃない気がしていますが、ここんとこ「我ら年齢ファースト思考」や「我ら民族ファースト思考」が出現してきていて不気味に感じています。

ただ、その反面、法の下どんな状態にあっても「人として同じ」であるという考えを持ち合わせている僕ではありますが「自分の思考を反映できない状態にある人まで同じ一票の投票権がある選挙制度」に対して「ホントにそれでいいんだろうか」という「?」もついて回ってはいます。

いろいろなことについて「行き過ぎ」というキーワードが僕にとって引っかかっているのですが、そのひとつに「介護業界における利用者・入居者と従事者の関係」も含まれ、人権から介護を俯瞰しようとする自分だからこそ「利用者・入居者ファースト思考に陥ってやしないか」を自己検証しながら事業運営にあたらねばと思っています。

大事なことは「バランス」ではないかと。

 

忍野八海に写り込んだ風景
富士山のふもとに湧水池で有名な「忍野八海」というところがあります。富士山に降り積もる雪解け水が地下溶岩の間で数十年の歳月をかけて濾過され澄み切った水となり湧水として姿を見せてくれているようです。
この写真は、その池のひとつに写り込んだ風景を撮ったもので、天の川のように見えなくもないキラキラしているのは池に投げ込まれたコイン、雲が池に写り込み、得体のしれない金色のモノは鯉で、池の傍を歩く人の姿が写り込んでいますが、そもそも上下逆にして掲載しています。
どんなものでも、どんなことでも違う角度からみると違ったようにみえるところが面白いので、そういうものの見方・考え方ができるようになりたいと思って生きてきましたが、思うように辿り着けないですね。

 

和田 行男 さん

1987年、日本国有鉄道から介護業界へ転身。1999年には、東京都初となる認知症高齢者グループホーム「こもれび」の施設長に就任した。淑徳大学客員教授。