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あらすじ
元ニュースキャスターで大学教授への道を歩み始めた百合子は、子育てを終え長年の夢を実現させようとしていた。
しかし父・修治郎が暴力行為で警察に保護されたことをきっかけに、前頭側頭型認知症であることが判明する。
不安と介護という現実に直面し、家族はバラバラになっていく。
そんな時、百合子は認知症「家族の会」の存在を知り、そこで出会った患者たちとともにアルゼンチンタンゴを習い始めた修治郎に変化が訪れる。
特徴・見どころ
本作『「わたし」の人生(みち)我が命のタンゴ』は、単なる認知症をテーマにした作品ではありません。
『「わたし」の人生』というタイトルが示す通り、認知症になった「父親」個人の人生と、介護を担うことになった「娘」の人生、それぞれの尊厳と再生を描いた、深い感動を呼ぶ物語です。
メガホンを取ったのは、現役の精神科医でもある和田秀樹監督。
医療の現場で多くの患者やその家族と向き合ってきた監督だからこそ描ける、リアリティと温かさに満ちた視点が、作品全体に深く息づいています。
介護の現実に直面する家族が、どのようにして困難を乗り越え、新たな絆を見出していくのか。
その軌跡が、観る者の心を強く打ちます。
名優、秋吉久美子と橋爪功が織りなす「家族のリアル」
本作の大きな見どころの一つは、主演の秋吉久美子さんと橋爪功さんによる、圧巻の演技アンサンブルです。
この二人の名優がぶつかり合うことで生まれる「家族のリアル」な空気感が、観る者に自らの家族を重ね合わせ、深い共感を呼び起こします。
秋吉さんは、認知症の父親の介護に追われ、精神的に追い詰められていく娘・早川ゆり子を熱演しています。
「しっかりしなければ」という責任感と、終わりが見えない介護への焦燥感、そして父親への変わらぬ愛情。
それらが複雑に絡み合うゆり子の心情を、繊細かつ力強く表現しています。
一方、橋爪功さんは、かつては厳格だったものの、認知症によって徐々に変わっていく父親・金光勇吉を演じます。
時に混乱し、時に無邪気な姿を見せる父親。
その姿は、認知症という病の現実を突きつけながらも、どこか愛おしさを感じさせます。
アルゼンチンタンゴが拓く、新たなコミュニケーション
物語は、ゆり子が父親にアルゼンチンタンゴを習わせることを思いつくところから、大きく動き出します。
認知症の症状が進む父親に対し、娘は藁にもすがる思いで、かつて父親が好きだったタンゴの世界へともう一度誘います。
最初は戸惑っていた父親も、音楽とステップに触れるうちに、徐々に失われた輝きを取り戻していくのです。
この「アルゼンチンタンゴ」という要素が、本作の希望の象徴として非常に効果的に機能しています。
言葉によるコミュニケーションが難しくなっても、音楽や身体的な触れ合いは、人の心を直接結びつける力を持っているからです。
タンゴを通じて、父親は以下のような変化を見せ始めます。
- 表情が豊かになる
- 昔の記憶や情熱を思い出す
- 娘や周囲の人々との間に、新たな関係性が芽生える
この過程は、認知症の本人だけでなく、それを見守る家族の心にも大きな変化をもたらします。
介護という一方的な関係ではなく、タンゴを通じて「パートナー」として再び向き合う父と娘。
その姿は、介護における新たな可能性と、人と人との繋がりの尊さを教えてくれます。
「人生は、いつからでもやり直せる」という希望の光
介護は、時に家族を分断し、当事者を孤独にさせます。
しかし、本作は「認知症になったから終わり」でも「介護が始まったから不幸」でもない、という力強いメッセージを投げかけます。
精神科医である和田監督は、認知症という病と向き合いながらも、その人自身の「人生」を諦めないことの大切さを、スクリーンを通じて訴えかけます。
父と娘がタンゴのリズムに合わせてステップを踏む姿は、「人生は、いつからでも、何度でもやり直せる」という普遍的な希望の光を私たちに示してくれます。
介護に携わる方、将来に不安を感じている方、そして今を生きるすべての人に、温かい勇気と明日への活力を与えてくれる、珠玉の感動作です。









