中山間地域でグループホームの統括責任者をしている沖段いう知人がいます。
ヤツは、グループホームというステージでいろんなことを考え、いろんなことを実践している介護職でもあり、ときたまそういうことについて話をしているのですが、
その話を文章にしてもらいましたので、少し手を加えて二つほど紹介させていただきます。
「ソレ」を継続できる環境でありたい
新しく入居された88歳のトメさん(仮名)のキーパーソンは姪にあたる方で、入居にあたりこんなやりとりをしました。
「叔母は、ずっと一人暮らしをしてきており、他人様を信用しないので家の中に人を入れさせませんでした」
「だから電気屋さんも入れさせないのでエアコンは壊れたまま。市の職員や通所介護事業所の職員さんも入れないし話も聞かないので困っていました。それでも何とか通所介護事業所に通うことができ人に慣れてきました」
「グループホームに入居しても我儘で好き勝手にすることがあるかもしれません」
そう話す姪っ子さんにこのように伝えました。
「グループホームは、叔母さんの『それ』をいつまでも続けられるように支援する場所なんです」
「住まいが替わったからといって職員の言うことを聞かないといけないことはないし、自分の意思を言える環境でありたいと自分は思っています」
「ずっと一人暮らしだったのならば他人を簡単に信用しないだろうし、高齢になれば余計にそうでしょうね。むしろ用心深い方のように思います」
これを読ませていただいたとき、30年ほど前にあったことを思い出しました。
僕がデイサービスセンター(通所介護)の相談員をしていたときのことです。
当時はまだ「痴呆症(現認知症)」のことについて情報がない時代でした。
ガンさん(仮名)は、僕と同じ元鉄道員で若くして認知症の状態になり、その妻はどうしていいかわからず、当時の著名な医師を頼って全国あちこちに相談に行かれたようです。
僕は所轄の保健師さんと連係して仕事をしていましたので、いろいろな相談が寄せられてきましたが、ガンさんのデイサービス利用相談を受けることになり面接に伺いました。
僕がお家の中に入ると、ガンさんは部屋の中をウロウロされていました。
妻は時折涙を浮かべながらガンさんの「こんなこと」「あんなこと」をたっぷり話してくれましたが、
話の主は「こんな状態だけどデイサービスに行くことができるのか」ということだと受け取ったので「おかあちゃん、どんな状態であっても何があっても大丈夫やで」とだけ伝えて面接を終え、通所を開始することになりました。
当時、毎月3回同じ内容でデイサービス利用者家族向けに「家族介護者教室」という会を開いて、僕の話を聞いてもらう、療法士などの講義を受けるなど介護にまつわることの学習だけでなく、
皆さんでレストランに行って食事する、カラオケに行く、花見に行く、ビデオ映画を見る、他者の話を聞く(ピュアカウンセリング)会を設けるなど、利用者・家族同士の関係を深めることに積極的に取り組んでいました。
そんなあるとき、ガンさんの妻が他の利用者家族の皆さんに「本当にどうしていいかわからなくなって路頭に迷っているとき、和田さんから何があっても大丈夫と言ってもらえたそのひとことで、とても救われました」と話してくれたんです。
きっと、沖段さんから「ソレを失わせないように支援するのが僕の仕事」だと聞かされた姪っ子さんはガンさんの妻と同じように救われたでしょうね。
沖段さんに、そう言ってもらえた時の姪っ子さんの顔が浮かびます。
僕が、ヤツと話をしていて愉しいのは「ソコ」なんですよね。
考えるチームづくり
長靴を履いた時、歩行状態の良い入居者(自力歩行できる人・見守り支援を要する人)と歩行状態の良くない入居者(すり足歩行の人・手押し車を要する人)のどちらが転倒リスクは高いかについてチームメイトで話し合いをしたところ意見が分かれました。
歩行状態の良い入居者は、長靴は普段履いている靴とは違って足首の動きが制限されるのではないか。
歩行状態の良くない入居者は、長靴だろうが普段履いている靴だろうが、足首の動きや足の上がりに変化は少ないのではないか。
意見交換した結果、「認知症の状態にあることで体と脳が順応できるのだろうか」という後に調べる必要がある課題を残しつつ歩行状態の良い入居者の方がリスクは高いということになりました。
そもそもこのテーマを投げかけたのは、職員が、グループホーム入居者が畑作業に出かける際、歩行状態の良い入居者に長靴を履かせていたのですが、考えもなく安易に履かせていると感じたからで、
自分はどちらにもリスクはあると思っていますが、毎日の仕事を流れ作業的にすることなく、気づきや考えること、学びを増やして欲しいと願ってのことでした。
僕が最近よく聞くというか耳につく言葉に「このように教わりましたから」という言葉があります。
具体的には、入居者支援のある場面を見て「このようにした方がいいのではないか」と介護職に伝えたところ跳ね返された言葉で、その介護職にしてみれば所属法人の上司やOJT担当者から教わったことを忠実に守ろうとしての言葉とも言えなくはないのですが、
自分の脳を使おうとしていない言葉であり、知的労働である介護という仕事においては致命的で、それに危うさを感じていることと重なりました。
沖段さんに限らずですが、グループホームでは大きな施設のように1日の生活の流れ(動き)をマニュアル化・ルーティン化したくないと考える管理者さんは「考えるチームづくり」的なことを口にする方が多いように思います。
きっとそれは「畑に出るときAさん・Bさん長靴使用」とか「〇時⚫️分A勤務者はこれをする、B勤務者はこれをする」といったようにすれば誰でも同じようにできるでしょうが、
入居者を支援することを生業とする職員が「入居者にとって」を思考することなく「より良くさらに欲」を追求することなく、上司に従い、決められたことを守ろうとするだけのチームになってしまいかねず、それに魅力を感じないからでしょうね。
ただ、人って面白いなぁと思うのは、
ある20歳代の介護職が「私は、何食べる?どこへ行く?なんて私の意思を大事にして聞かれたくないんです。何時何分ここに集合、これに乗ってここへ行くから、これを持ってきて、と言ってくれる友達がいるんですけど、その子みたいなのが超イイんです」って言っていましたから、
そういう人は「考えるチーム」は避けたいかもしれませんからね。
ただ、この方も飲食店に入ってメニューを渡したら「和田さんが決めてください」とは言わず、躊躇することなく自分で選んでいましたから、考えたくないとは言いつつも考えたいんでしょう。
もう少し深堀議論をして「人にとって大事なことは何か」を、こういう方と話し合ってみたいですよね。
やっぱり人が面白いのは「違う」からで、違う「人」と絡むことを愉しむから「愉快」なんでしょうし、それを生むために言葉を豊かにしてきたんでしょう。
大事にしなきゃ語り合い!
健達ねっと連載修了となります
連載をさせていただいて2年半くらいになりますでしょうか。
僕の連載はこの「59」で修了となります。
コメントを寄せていただく仕組みにしてもらってから本当に愉しくやらせていただきました。
かなり前のブログ記事まで戻ってコメントを確認していましたが、すべてのコメントにお応えできていなかったならばお許しください。
残念なことは、この7月に「認知症 BPSD丸ごと症状とすること」への問題提起をさせていただく本(医師と共著)を出版していただくことになっていますが、その本を読んでいただいた方々との「やりとり窓口がなくなる」ことです。
合わせて、来秋には「注文をまちがえる料理店のドキュメント映画」を一般公開する運びとなっており、その映画を見ていただいた方々とのやりとり窓口もなくなることです。
そして何より残念なのは記念すべき69(ロック)を迎えたかったことですかね。ハハハ
今後は、所属会社のホームページをお借りして発信し続けていく道も考えます。
どこかで僕のことを見かけましたら遠慮なく気軽に声をかけてくださいネ。
お会いできること、またこうしてやり取りできる機会がくることを楽しみにしています。
短い期間でしたが、本当にありがとうございました。



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